ホシマル blog

独り言を書き込んでいます

忖度?いえいえ強制では?

本日行われる国葬

政府は「求めない」と強制ではないとして反発に対応しているつもりだが

実際は忖度どころか「半強制」と言える状況を作りました


ひざ元の都はもちろん、巨大予算を使っての物々しさで特別感を出し

喪に服さなければ国に対する「反逆行為」と見えるように演出しました

ほかの地方自治体は? ひざ元ではないのだから行かなければ多くともいえる住民の

意思にも従えるが...そこは予算の多くをもともと国に依存している関係なので

無視すればあとあと予算で不利益を被るのは容易に予想できる

自治体や国の関係する公的施設はみなそうだ

それでも「何もしない」というのはほぼ無理な話

半旗などくらいで弔意は示さなければ...はどこでも行うこと


と...見えない「強制」が働いているのは大人ならわかること


問題はあくまで国民全員に負担を強いるほどの功績でもあったのか? 
がやる意義になるのだが

それ自体が現首相も説明できないのだ。さらにはもともと安倍さん自体が説明を逃げ回ってきた

状態で国民を無視してきた人でもある

「葬儀だから」で済ませるつもりはない。その理由でなら、安倍さんを撃った人が亡くなった

としても同様に弔意を示してよいことになる

多くの殺人者や詐欺師などの犯罪者も亡くなれば葬儀は行われる。国民はみんなが

喪に服す? 悲しむ?

死んだ人には罪は無い...「葬儀なのだから」という理由ならそうあるべきだろう

差別者でなければね

 

国葬にすれば良い点はある?

英国女王の国葬は、英国国民にも、そして他国からも反対もなく
行われたが、今回の日本の国葬...誰が歓迎しているのか?

間違えてはならないのは、安倍晋三さんの葬儀はすでに済んでおり
ごく親しい人などはもちろん参加していることだろう

なので「葬儀をやらないのか?」の問題ではない
いわゆる葬儀後の【告別式】のようなつもりで見ればよいこと
ここはイギリスとは大きく異なるし、これまでの元総理たちも
おなじことである
なのになぜ?

日本人的な心情を考えるならば、『支持率』の問題が最大だろう
だから、現総理が無理やり決めたのだ
そこにはほかには理由はないから、説明が堂々とはできないのは当然

それまで内閣支持率がどんどん低迷していく中で、長期に独裁政権
保ってきた安倍元首相の殺害という衝撃?的死亡にたいして
その政治的ショックを国民で「盛大」に葬儀を行ったという実績で
支持率の回復を図りたいのだ

はっきり言えば、日本国民は「イベント」的な一大行事を派手に行えば
『すばらしい』と称賛するとふんでいるし、これまでもそうだった
要は、「一大イベント」にするために、『国葬』が最良なのだ

費用は政治家のだれも心配しなくてよいし、見本として英国の国葬
参考にした。それよりも派手に立派に執り行えば、国民なんて簡単に
支持してくれる...と首相はふんでいる

そのために、メディアも総動員で「国葬」にふさわしくしなければならない
理由として国民には話せないから、国民全員に喪に服すなどの行為は
求められないと言いながらも、安倍さんが示した『忖度』をしろと
国民には強要しようとしている(メディアを使っての安倍政治の賛美だろう)

平成最大の「安倍政策反対デモ」や、意味のない「卒業式中止強要」など
国民の生活なども一番混乱させた政権だったのだが...それも賛美されるのだろうな

裏では旧統一教会霊感商法でもまた始める宣伝でも流す?
アベノミクスなんてデータ改ざんだらけだから、デマで称賛させられそう


予言しておこう...この記事が正しい時には『国葬が素晴らしかった』と
報道がされるからね

秋分の日

24節季では10:04が秋分...過ぎてしまいましたが、太陽が無事に南半球へ!


で、今日は秋分があるから「秋分の日」で、お彼岸の中日ともいわれますね

文化としてはお墓参りとかを前後3日を含めて彼岸と言いますね


そうそう...「星のソムリエ」の講座の文化の回を午後にやらなければ...

七夕やお月見のことも含めての話をするのですが...暦のこともです


それはさておき、なぜか「秋分の日は昼と夜が長さが同じ」と勘違いしている人が

多いですが...これは学校のせいか?

実際には、地域にもよるがだいたい3日ほどあと...彼岸の明けの26日頃が昼と夜が

だいたい同じ長さとなります(春分は彼岸の入りのころ)


いよいよ太陽も「秋」だと伝えてきてくれてますね

 

台風14号に見る、日本の弱点!!

今回の台風14号の報道で、報道の弱点...しいては日本の弱点が見えてくる

これは報道としての「正確な情報の報道」を無視し始めているという弱点だ

 


九州上陸前に「史上最強」とかの表現で強さを伝えるのは良い。台風の数値では

確かに強力なものと定義できるレベルだった

そしてそのまま九州でノロノロと移動をつつけ、被害を出してきた

その点で九州では必要な情報であり、避難などの対応も必要で、TVなどで「避難」

を呼びかけるのは適切だったといえるが...

 


弱点はここから露呈する

 


その後九州を移動しながら威力(勢力)はどんどん弱まり、東へと進路を取った時から

中心気圧は上がり始め、近畿まで来たら「史上最強」というが、以前の台風より

明らかに弱くなっていた。しかし報道では「史上最強」を言い続けたのだ

 


そして翌朝には新潟に再上陸。そこでTVで映像で警告しようと考えたのだろうが

映像では「傘を斜めにして歩いている」という映像とレポートを報道

その直後でも、「最強」を口にするために「これから吹き返しや大雨が...」と

予報士にしゃべらせていたが...それ以降実際にはそよ風レベルの風と傘が要るかな?

というレベルの雨となった。普段の小雨と変わらない状態

 


しかし報道は「最強」を言い続け、新潟では3市で全小中学校は「休校」を決めた

交通機関は...JRなどはほぼ普段通りで動いていたのだが...

 


これでは子供たちは「最強って大したことない」と学ぶ。それが経験として

記憶されるのだが、大人も同様で、信じて備えたのに普段と変わらないとして

経験として記憶していく

これこそが日本の安全を脅かす弱点となるのだ

 


TVなどで「最強」とか「最悪」の危険といわれても、経験でほとんど問題ないことを

学んでいるのだから、大きく割り引いて聞くことになる

 


最悪を想定して報道する...これはそのままいざというときにその危険性を伝える

言葉が無くなっていくのだ。最強最悪ではこの程度なのだとわかっているのだから...

 


まあ...メディアは「伝えたのに避難しないのが悪い」と知ったようなことで誤魔化すだろうが

それではメディアの存在意義も無いことになる

 


最悪を想定するのは報道ではなく、地域ごとでのニュースとしておくべきなのだ

全国統一で気象を言い続けるのはやめるべきだろう

 

 

 

「統一」しなければならないというような、どこぞの集団のようなことを言っているのは

そろそろやめるべきだろう

 


一度決めたら変えられない...日本の最大の弱点だろうね

新規感染者は「FAX」で保健所に報告し、保健所は手計算で集計するなんて今更である

日本のデジタルが先進国でも遅れ続けるのは...「決めたことは変えない」が原因だろうな

 

第7波は大丈夫と思って大丈夫?

コロナの第七波は数字としておさまりつつあるように見えますが、これでよいといえるのかな??

確かに新規感染者数は減ったように見えますが、単に全数を発表しなくしているだけなのかも。さらには重傷者数も減っているが、ところが見落としさせられている数字が『死者数』

病院でも5波などでは重症の肺炎患者が多くて人工呼吸器なども数が確保できていないなんて話題でしたが、今は重症患者用の病室10部屋確保していても、1室程度で済んでいるところが多いと聞く。なのに「死者数」がこれまでの1~6波を超えているのはなぜなのか?
報道では「もうだいじょう。ワクチンが効いているから」ととられるように報道しているが、実際は重症は減っても死者が増える。本当のところは重症でもないのに亡くなっていく人がほとんどで、医療でも対応できないほどになっているという

国民は死者になるまでの流れを「感染→肺炎→重症→亡くなる」とイメージしているが、実は今の死者は肺炎も無く、重症には当たらない人たちが亡くなっている状態。お年寄りやもともとの疾患が悪化して、医療も対応法が無く見送る状態。いわゆる中等症や軽症のままで亡くなっているのだ

対処法も無いのに「緩和」にはしる社会は…コロナの感染について、本当は何もわかっていない? それともわざと安心しろと宣伝だけしている?

ワクチンも薬もすべてが「肺炎・重症化」をおさえたりするというが、それ自体が
時代遅れの対策法になっていないか?

ワクチン自体が世界よりも1年遅れたが、情報も今の状況説明は1年後になるのかな? 今の状況を国民には知らされていないで、それで対処が遅れてが続く日本の対コロナ政策のようだ

どうすべきなのか? 説明もしないのは安部元首相のやり方だが、その人を国民みんなで崇め奉るようにと国も自治体も指示をしているようだが、安倍政権もそこまで見習っていいのか??

K首相は「エリザベス女王国葬に参加」を表明しながら、取りやめるという
テイタラクな状態なのだが、情報は早くて正確なのが必要なのでは?

「自信を持たせる会社」と「自惚れる会社」


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会社は大きくふたつに分けられる
一つは、会社の儲けを第一としてほかの会社(人)には冷たい会社
もう一つは、会社として社会に貢献してほかの会社(人)を助けようとする会社
前者はなくなっても、社会として困るのは一時的で、そのまま忘れ去られる会社
後者はなくなると社会として困り、ほかの会社や人々から応援される会社
どちらを会社は目指すべきか??

ちなみに私なりに地元でそれぞの会社を一つ上げるなら(社名が関係するのであえて伏せずに取り上げてみる)

前者として見ているのは「Denka(デンカ)」なる化学企業
確かにコロナ禍のなかで「検査キット」を製造していて、社会に求められているように見えるが、その実社員たちのふるまいを見ると自負しているというより「自惚れ」でいるなと見える。
それは会社前の道路で如実に表れる「デンカに入る車優先(右折優先)」
の道交法よりも上なるルールを作っている点。込み合っていて右折で入るのが困難な状況ならともかく、直進車も2台しかない…通過すれば右折しての入場も自由になるしそもそも右折車も3台しかいない状態。10秒もたてばいなくなるという状態なのに、右折側が直進車の目の前で右折してくる。私はあわててブレーキを踏み停車し透ければ事故になるところだった
みんなが求めている品物を作っているのだから、みんなが道を譲るべきだというのだろう。これはほんの一部ではなくほぼすべてのこの会社に入る車のルールとしてる。道交法など関係ないのだ
また「ゆずりあい」でもない。これが譲り合いなら渋滞を作り出している迷惑行為でしかない

じつは…「ゆずりあい」を押し付けてくる社会は住みにくくなるともいわれる
(「ゆずりあいが社会をだめにする」とかいう本もあったような)


それに対して、社名で社員の子供たちがいじめを受けるという事件があったが、その時に社員の家族に向けた新聞広告は感銘を受けた。
会社名は「CORONA(コロナ)」、J2のアルビレックス新潟の当時のスポンサーでもあり、現在はJ2でトップになったりしているチームの背中に大きく書かれていた会社だが…社員の子供たちが学校で「親がコロナだろ」と仲間外れにされたりいじめをうけているとされ、こころ痛めた会社が新聞の一面広告を出した
「コロナではたらくかぞくをもつ、キミへ」
と題する記事は本当に社員に自信と誇りをもたせ、子供たちにも誇りを持つことを教えてくれます
こんな会社でなら、働いてみたいし、差別にも負けないで自信をもって社名を言えます。

こんな会社で働きたいと思ったのは確かです
(そういいながら…もう入社できる年齢じゃないけど)

 

10日は満月で中秋の名月(十五夜)

白露となり、朝は涼しくなってきましたが、いよいよ一年でもお楽しみのある「中秋の名月」が
週末の10日となります

お楽しみ....は個人的にですが...Mの《月見バーガー》系が大好きで、1年でこの時だけMに行くからね

とまあ...個人的な楽しみはさておき、今年は10日18:59がそのまま満月でもあり
満月の中秋の名月(十五夜)という珍しい取り合わせになります

まあ...それで言えば来年の十五夜も満月ですけどね...(その後はしばらく満月じゃなくなります)

※実は十五夜は満月から二日ほどずれるのはむしろ普通ですからね

基礎知識として...
「中秋とは秋(7,8,9月)の真ん中である8月の十五日(十五夜)のこと」で、月の満ち欠けでほぼ作っていた
旧暦(太陰太陽暦)で15日はほぼ満月付近となります
で、今年も来年も、ちょうど満月と同じ日になっているのですね

十五夜は一年に一度の旧暦の8月15日の夜の{月}ことで、中秋の名月のことをさします

「秋」自体が月を見て楽しむのにちょうどよい季節です
春はおぼろ月夜とも言い、黄砂などでかすみやすく、夏は低くなりすぎ、冬は高くなりすぎで風情がありません
楽しみ方は地方ごとに異なるようですが、月を見て楽しむのは日本独特の文化と言っても過言ではありませんね